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2018年、中日の岩瀬仁紀投手。この年限りで現役を引退した=名古屋市東区、上田潤撮影
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 かつての岩瀬仁紀氏(50)を知る人は、異口同音に言う。

 「まさか、あそこまでになるとは……」

 投打で高いレベルにはいるが、野球選手として、果たしてどこまで伸びるのか。岩瀬氏は、その道に詳しい関係者にとっても「判断の難しい選手」だった。

 野球殿堂博物館(東京都文京区)は16日、今年の野球殿堂入りを発表し、競技者表彰のプレーヤー部門はイチロー氏(51)と岩瀬仁紀氏(50)が選ばれた。

 32年前、西尾東高出身の岩瀬氏は愛知大に入学した。当時監督だった桜井智章さん(67)は、野手として起用することに決めた。長打も打てる、その打撃力を買った。

 「投げ方は悪くなかったので、投手としては、体力がつけば『ひょっとしたら』とは思っていた。ただ、その前に、打者として大きく成長してしまった」と笑う。

 思い出すのは、岩瀬氏が3年の時に見せた変化だ。

 全日本大学選抜に選ばれた岩瀬氏が、チームに戻ってくると「投手をやらせてほしい」と申し出てきたという。選抜チームのメンバーには、のちに巨人入りする高橋由伸(慶大)ら強打者がいた。

 「こういう選手たちが野手としてプロに行くんだ、と感じたんでしょうね。もちろん、投手をやることをすぐに認めました」

 岩瀬氏は投手と野手を兼務しながら、安打を重ねていった。

 4年の秋には、愛工大時代の神野純一(のちに中日)が打ち立てた、当時のリーグ記録の通算125安打を更新するかに見えた。

 だが、通算安打は124本でストップした。

 投打のどちらを選ぶのか本人…

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